Candy Talk
寝室から、ジリリリリと目覚ましのベルが聞こえてくる。
「天真くーん、朝だよー」
私は台所から叫んでみる。けど、天真くんも出てこないし、ベルも一向に鳴り止まない。
「もーっ、仕方ないなあ」
火を止めて、寝室を覗くと…無残にも床に投げ出された時計と、未だ布団にくるまっている当主の姿。
ここで甘い顔をすると、妻としての立場がなくなっちゃう。
私は鬼になる覚悟を決めて、ばあっと布団を剥がした。
「て・ん・ま・くんッ!」
「んあ〜…」
まだ寝惚けてる。もー、なんでこんなに寝起き悪いんだろ。
「もう朝だよー?早くしないと、会社に遅れちゃうんだってば」
「…何時……?」
「7時!さあさあ、早く着替えてご飯食べようよー!」
ふんぞり返る私を見上げて、天真くんは素早く私の腕を引いた。
「ひゃあっ!」
どさあっと天真くんのすぐ横に引き込まれる。毎日のこととはいえ、女の子には心の準備ってもんがあるのに!
「もおっ、ふざけてないで起きてよ!」
「ん」
「…なあにぃ?」
「おはようのキス」
私は唇をとがらせる天真くんの顔に枕を押しつけ、天真くんの頭をぽかぽか叩いた。
「それは休みの日だけ!ほらあ、起きてよお!」
「いてててて、解った解った」
さっと飛び退くと、天真くんはまだ眠そうに頭をかいている。ま、でも上半身は起き上がったから、これでひと安心。
「ご飯、すぐ出来るからね」
「んー」
着替えはじめたので寝室のドアを閉めて、再び台所に立つ。
花嫁修行ってほどのものじゃないけど、実家にいる時お母さんの手伝いとかしてたから、料理はけっこう好き。
味は…決して万人向けじゃないけど、天真くんが美味しいって言ってくれるから、それでいいんだ。
食卓に料理を持ってくる所で、丁度天真くんが出てきた。
技術屋の天真くんは背広なんてたまにしか着ない。いつもTシャツと汚してもいいような作業ズボン。通勤はバイク。
「顔洗ってくるわ。メシ先に食ってていいぞ」
「ううん、待ってる」
テレビをつけ、朝のニュース番組を見る。こうやって主婦を始めてから、やたら芸能界とかの話題に詳しくなった。
…おばさんへの第1歩、かな?
「さーて、食うか」
タオルで顔を拭きながら天真くんが戻ってきた。今の所2人掛けの食卓につく。
一緒の朝ご飯を食べながら、今日の予定を訊ねる。
「今日は、何時に帰れそう?」
「そうだな、多分9時までには帰れるはずだぜ」
「解った。あのね、忘れてるかも知れないけど、私今日女友達と同窓会だから、夕飯作って置いとくね」
「…今日だったっけ?」
「やっぱり、忘れてたんだ。遅くならないようには注意する。9時だったら戻ってると思うし」
「へーい。…千鳥足で戻ってくんなよ」
「そんな飲まないってば!」
そんなこんなで出勤時間になった。天真くんに付いて玄関でお見送りする。
「あ、そうだ」
「?」
「俺、明日休み取ってるから。どっか行くか?」
「う、うん!どこ行きたいか考えとく!」
「よし。じゃあ行ってくる」
いってらっしゃいのキス。これも、もう慣れちゃった。
天真くんのバイクが駐車場から出て行くのを見送ってから、早速家事に取りかかる。
朝ご飯の洗い物を済ませて、起きた時にかけておいた洗濯物を干す。それから掃除機をかけて、トイレの掃除。1週間に1度は窓拭き。
旦那様の居ない時間、家を守るのはこの私。
天真くんは「お前、うちのおふくろみたいにしっかりしてんな」って感心してたりするんだけど、実は今日が不燃物の日だってこと、忘れてた。
…また2週間後かあ〜。
トイレの掃除が終わると、午前11時。昼ご飯までまだ時間あるな…。冷蔵庫の中見て、買い物にでも行こうかなぁ…。
そう考えていると、電話が鳴った。はいはーい。
「もしもし、森村ですが」
『もしもしー、あかね?あたしあたし、蘭だよっ』
「蘭!どうしたの?今日は学校じゃないの?」
『今日の講義は午後からだよ。ねえねえそれよりさ、お昼食べた?』
「ううん、まだだけど」
『良かったあ。ね、たまには一緒しない?』
言葉に詰まった。蘭のお誘いは確かに嬉しいんだけど…これでも私は財布の紐を握っている主婦。同窓会用にしかお金、取ってないよ…。
『あかね?』
「あ、ああごめん。えっとね、今宅急便来るの待ってるから、出られないんだ。…ごめんね」
『そっかー、仕方ないなあ。今晩の同窓会では絶対に逢おうね』
「うん、本当にごめんね。じゃあ、また夕方にね」
『はーい。じゃあねぇ』
ガチャン。…家の中はまた静寂に返る。
本当はね、少し…少しだけ、早く結婚したのを寂しく思うの。
だって独身のみんなはまだ学生なんかで、私のことを「急いで結婚しなくても…」って言うんだもん。
私、急いでたつもりないよ。私は私の意志で、天真くんに嫁いだんだから。…きっと、みんながそう言うから、弱気になってるんだよね。
「暗いのやめっ。買い物行こうっと」
新聞は取ってないから、いつものスーパーへ。
私だけご馳走を戴くのは悪いから、天真くんの夕ご飯も奮発してお刺身を買うことにする。あとは、ほうれん草と、大根と…。
家に帰ると、本当に宅急便が来てた。急いでハンコを持って受け取りする。差出人は…お母さんだ。何だろ…?
大きな箱を開くと、秋物のジャンパーやコートが出てきた。毛布も入っている。手紙を読んでみた。
『あかねへ
元気にやっていますか。こっちは家族みんな元気です。
たまには家にも帰ってきなさいよ。電車で2時間かからないんだから。
ジャンパーは天真くんの通勤に着せてあげて下さい。コートはお母さんのお古だけど、あかねなら
着れると思います。冬支度はしっかりね。主婦頑張りなさい。 母より』
…一緒に商品券も入ってた。1万円分。ちょっと、涙が出た。
私たちの結婚は、確かに世間一般からすれば早いんだろうな、と思う。
天真くんは京から帰ってきてすぐ、私との結婚を考えたらしい。それだけ自分の想いに真っ直ぐな人。
天真くんはバイトでこつこつお金を貯めながら、高3の冬に私の両親を訪れた。
300万貯めるから、その時には私を嫁に欲しい…って。
最初、お父さんは激怒して、天真くんを追い返した。それでも天真くんは諦めることなく、毎日うちを訪れた。
取り付く島もないお父さんを折れさせたのは、お母さんのたった一言。
『忘れていないわよ?あなたも私の父に、同じようにお願いしに来ていたのは』
公認になってからは、お母さんはちょくちょく天真くんを夕食に招いた。
渋々折れた形のお父さんは最初こそ全然話すこともなかったけど、モータースポーツ好きな所で気が合って、
今では一緒にカート観戦まで行く仲の良さになっている。
自分の子供が女ばっかりだから、息子が出来たみたいで嬉しいらしい。
天真くんのことを、考えた。結婚する前も、結婚した今も、変わらず好きなひと。隣に居れるだけで安心出来る、頼りになるひと。
どうして、こんなに、好きになれるのかな。
天真くんのことを考えているだけで、一日が終わることもある。すごく心が潤された気分になる。こんな感情をくれる天真くんが、本当に好きだ。
…お昼ご飯、食べなきゃ。同窓会で料理独り占めは、さすがに悪いもんね。
夕方、鍵をかけて集合場所に向かう。一人で街まで出るのは久し振りだ。
ショーウィンドウは秋の気配に変わっている。もう秋なんだあ…ジューンブライドから3ヶ月以上経ったなんて、ちょっと変な感じ。
「…あー、あかね!こっちこっち!」
待ち合わせのファッションビル前には、既に私以外の全員が集まっていた。蘭と高校時代の友人4人。3人が学生で、2人がOLをやっている。
「あかねー、結婚式以来だねえ!元気でやってる?」
「うん、元気元気!ミキも元気そうだね」
「なーんだ、まだ妊娠はしてないみたいね。早く赤ちゃん見たいなー」
「結婚しなよ、学生やめてさ!」
「はいはい、ここで騒いでるのは恥ずかしいよ!店行こう!」
いつの間にかリーダーシップを取っている蘭が、店までの案内役を買って出る。
学生時代よく来た街並みも、しばらく見ない間に随分変わったみたい。
あ、映画やってるー。これ観たいなあ…明日の休みに連れてきてもらおうかな。
「いらっしゃいませぇ」
ちょっと照明の落とされた、オシャレな内装の店。創作中華料理って看板に書いてたけど、どんな料理出てくるんだろー…楽しみv
桂花陳酒のソーダ割りを手に、蘭が乾杯の音頭を取る。
「えーでは、僭越ながら…みんなの健康と、あかねの幸せに…乾杯!」
カシャンというグラスの合わさる音を合図に、久し振りの豪華絢爛料理を堪能する。
エビのクリームソース煮、豚バラ煮込み八角風味、おこげの野菜餡かけ、チンゲン菜と中華ハムの炒め物にフカヒレの卵スープ。
どれもこれも美味しい。どうやって作るのかなあ…。
「蘭って、本当に美味しいとこ知ってるよね〜」
「まあね。トレンディ雑誌読み漁ってる成果だけど、この辺のグルメスポットなら任せてよ」
「…あかね、ノリ悪―い」
隣にせっつかれて会話に合流する。あらら、また外れてたみたい。
「どしたの?」
「うん、ちょっとね…どうやったらこんなに美味しく作れるのかなって思って」
全員が全員、呆れたような溜め息。
「な、なんでそんな顔するのー?」
「あかねったら、それじゃ1日中ノロケっぱなしじゃない。旦那様にも作ってあげたいなーとか、思ってたんでしょ」
「う、うん…」
「幸せだよねえ。なーんか私もとっとと落ち着きたくなっちゃう」
1番お酒の進んでいる蘭が、けらけら笑いながら合いの手を入れる。
「お兄ちゃんは雑食だからさ、なんでも食べるよー?そんな神経質にならなくていいってぇ」
「蘭ったら。…雑食だからこそ、もっと美味しい物をって思うんじゃない」
「こら、喧嘩はよくないぞ〜」
みんなお酒が入っているので、本気で止めちゃいない。それが懐かしくて、楽しかった。私達、こうやって…大人になっていくんだね。
「蘭、1人で帰れる?」
「へーきへーき。電車乗ったらすぐだも〜んv」
へべれけに近い蘭を最寄り駅に停まる電車に乗せて、私も電車に乗り込む。時間…結局、9時回っちゃった。盛り上がったからなあ。
こんな時間に電車に乗るのも久し振り。カタンカタンと流れていく街並みに、少し安心する。
サラリーマンのお父さんも、毎日この明かりを眺めては、帰る家に安心してたんだろうな。
駅に着くと10時を回っていた。
もうすっかり酔いは醒めていたから、早足で家への道を急ぐ。行く時はそうは思わなかったのに、家と駅の距離は遠い。
マンションが見えてきた。明かりを確認すると…点いて、ない。
(まだ、帰ってないのかな…)
エントランスに入る前に、駐車場を確認する。…あれ、バイクある!
(うそー、もう寝ちゃったの?)
エレベーターの速度がもどかしい。すぐそこに居て、壁を隔てられているみたいで。
5階に着く。降りた時から鍵は手の内。…って、開いてる?
(天真くんったら、無用心だよ)
玄関の電気は点いている。それ以外は真っ暗。どこにいるんだろう?驚かせるつもりなのかな、それとももう寝てるのかな。
「てーんま、くーん…?」
ダイニングには居ない。お風呂にもトイレにも。寝室は…。
(あ、いた)
正確には居るじゃなく、眠ってた。ヘルメットもジャンパーもそこいらに放り投げて、身体だけベッドに預けて。
どうも帰ってきてからすぐ、寝ちゃったみたい。
(……………。むー)
散らばった服やヘルメットを片付けて、布団をかける。
お風呂もご飯も済ませずに寝るなんて、よっぽど疲れてるんだろうな。…明日の予定、やめた方がいいかなあ…。
「ごめん、ね」
眠る天真くんを見つめながら、呟いた。すると。
「何がごめんなんだ?」
「て、天真くん!起きてたの?」
「幾ら寝てても、玄関が開けば気付くぜ」
起き上がり、大きな手で私の頬を撫でる。くすぐったくて、でも安心する。
「随分、疲れた顔してんな」
「天真くんこそ、疲れてるみたいだよ」
「そうか?まー、明日の休み取るために余分に仕事したからなあ」
触れている手を両手で包み込むと、天真くんは少し照れた表情を見せた。
「明日、ね…1日中お休みでもいいよ」
「…行きたい所、あったんじゃなかったのか?」
「ううん、もういいの。…だって、一緒に居たいんだもん…」
「…あかね」
ぎゅうっと、胸元に抱き込まれた。整備オイルの匂い、天真くんの匂い。
「明日は、いくらでも寝坊していいよ」
「お前が隣に居てくれるんなら、な」
「…甘えんぼ」
「お互い様だろ?」
服を脱いで、パジャマに着替えて。あなたの鼓動は、私にとって何よりの子守歌。
おやすみなさい。明日は、ずっと一緒だね。
End.
以前「MapleGanache」小椋 嬉野さんにキリ版ゲットのお祝いに戴いたものを
アップさせていただきました。小椋さん有難うございます。
お願いしたのは、「夫婦の二人」です。
私はどうもあかねに甘い天真君が壷みたいです。
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